中学校吹奏楽部 高校ブラスバンド部 Evil Flowers
西春吹奏楽団 岩倉市民吹奏楽団 大口ウインドアンサンブル
中学校の時に吹奏楽部に入ったわけは、“僕が音楽〜吹奏楽をやり始めたわけ”に書いてあります。
最初、体験入部に行ったときは、スライドが面白くてトロンボーンを吹く気マンマンで、体験入部の時もトロンボーンばっかり体験した覚えがあります(笑)
が、いざ話を聞くと、トロンボーンはヘ音記号を読まなくてはならないと判明。
ト音記号の楽譜もままならないのにヘ音記号を読まなきゃならないなんて…一気にトロンボーンに対する熱は冷めてしまって、何をやろうかと考えていた矢先、卒業したばかりで小学校に遊びに行っていた僕は、そこで小学校の時の担任の先生に、“演奏会(小中交流演奏会)で、ドラムかっこよかったじゃん”とかいう話をされ、打楽器なら楽譜も読むの簡単だと思い(←当時は)、叩けば音が鳴るし…(←確かに…でもそう簡単にはね…)と思い、その時はパーカッションに簡単に寝返りました(笑)
中学校の部活の様子は、“思い出に耽る…(学生編)”の“中学校の思い出”をご覧ください。
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中学校の時にどっぷり吹奏楽漬けになった僕は(詳しくは近々UPする予定の“中学校部活の思い出”で)高校に上がっても吹奏楽を続けるつもりで、吹奏楽部のある高校を選び、受験しました。
本当は、吹奏楽の名門の愛工大○電へ進学したかったんですが、ウチの親に、『私立はお金がかかるから行っちゃいけない』と釘をさされ、本当にやむなく断念。だって、親の力(金)なしでは進学できないからね(笑)
吹奏楽のある高校といえど、もともと勉強嫌いで、高校出たら働こうと思った僕が進学したのは、県立の工業高校。
こんな言い方な何だけど、あまり高校の部活には期待してませんでした。でも、とにかく部活には入りたいな…と。
高校受験の面接の時にも、部活は吹奏楽部に入りたいですとはっきり言いました(笑)
そして、高校生になった時に部活の見学に行ったら、『君が中学の時に県大会まで行った子?』とか、まだ僕が名乗ってないのにそう話かけられました。
そう、高校受験の時の面接官の先生が、何とブラスバンド部の顧問だったんです…(ちなみに、2、3年生の時はクラス担任でした。)
僕が受験したときから部活内では僕の事が噂だったらしく、まんまとその流れですんなりブラスバンド部に入部したわけです…
で、ここで顧問の先生に、経験ある楽器でこの学校の部活はつまらないんじゃないかという事を言われ、中学校の時にやりたいと思っていたトロンボーンを志願し、高校からトロンボーンをやり始めました。
でも、やりたがりの性格が災いし、色んな楽器をやりましたね…
高校の部活の様子は、“思い出に耽る…(学生編)”の“高校の思い出”をご覧ください。
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僕が中学校3年生の時に、西春町の文化勤労会館という町の施設が竣工され、竣工されたその年に定期演奏会を開いていた演奏会を聞きに行き、僕も入団したいと思い、中学校を卒業した春休みに、中学校の先輩(と言っても、3つ上の先輩で中学校によく遊びにきてくれてた先輩)と、見学に行きました。
町内の楽団という事で、当時は僕の中学校の直接の先輩や遠い先輩(?!)が数名いたり、年齢層も若かったですね。
当時、パーカッションには団員が2人しかいなくて、僕を含めても3人でした。
その団にも何年も居座ってしまって、もう10年目になりますね…(汗)(←2004年1月1日現在)何だかんだ古株です。
西春吹奏楽団の様子は、“西春吹奏楽団での様子”をご覧ください。
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確か高校1年生の時、西春吹奏楽団に見学に来てたパーカッションの女の子がいたんですが、その子が西春吹に来なくなったなーと思ってたら、その子、岩倉市吹に入団していたようでした。
西春吹に見学に来てた時から、同い年で同じ楽器という事もあり、その後もなんとなく連絡もとりあっていて、高校2年の夏に会った時に、岩倉市吹にも入らないかって言われたのがきっかけで見学に行ってみました。
当時、トロンボーンも下手ながら自分の楽器も持っていて、パーカッションは西春吹でやっているという事もあり、今考えたらかなり無謀だったんだろうけど、トロンボーンで入団しました。
県立工業高校の弱小ブラスバンド部でしか吹いた事のない僕にとって、西春吹よりも歴史も人数も多いこの岩倉市吹でやっていけるかと、かなり不安でしたが、何だかんだで居座っちゃってますね。
でも、おかげでトロンボーンも人並みには吹けるようになりました☆
岩倉市民吹奏楽団の様子は、“岩倉吹奏楽団”のページをそのうちUPします。
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僕がまともに活動したバンドですね。(他、高校生の時とかに立ち消えになったバンドもあるんです。)
最初のきっかけは、ボーカルが高校の同級生の女の子、ギターとベースが高校の先輩で、ドラムが抜けたときに、やってみないかと声をかけられて始めました。
最初は、なんだかバンドをやってる人はこわい人ばかりだという偏見があり(?!)初めてのライブを迎えるまで不安でいっぱいでしたが……ライブをやってみると楽しくて、初めてのライブと2回、このメンバーでライブをしました。
その2回目のライブで、この頃から西春吹と岩倉市吹とかけもちし、おまけに他団のエキストラ出演なども依頼されるようになっていたので、とても多忙でやっていけるか不安になり、脱退しました。
しかし、その1年後位に、僕の後に入ったドラム(それも僕の高校の先輩だけど)が、腰を痛めてドラムができないということで、再び叩いてくれないかと頼まれ、復帰しました。
その時にはベースが女の子に変わっていて、僕がいた時にやっていた曲もだいぶアレンジされていて、がんばってる感じでしたね。
その後は、月に1度程度ライブを重ねていき、メンバーの脱退なども乗り越えて活動してきましたが、2003年5月に解散してしまいました。
Evil Flowersの思い出は、“思い出に耽る…(バンド活動編)”の“Evil Flowersの思い出”をご覧ください。
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西春吹のとある人が、大口町の施設のチラシで、大口ウインドアンサンブルの前身である、“大口町制40周年記念バンド”の団員募集を見つけ、冷やかしのつもりで行ったのが、そもそものきっかけです。
文字通り、大口町の40周年の記念式典で演奏するために結成された団で、団員は、地元中学生を始め、一般公募をして集められた団なんですが、僕は、その記念式典の日に、Evil
Flowersのライブの予定が入ってしまい、記念バンドの演奏会には参加しないで終わりました。
その後、記念バンドの同窓会と称し、みんなで集まって合奏などをしていたのもあり、(僕も、その練習にはたまに参加してました。)折角だから大口町にも団を作ってしまおうと、記念バンドのメンバーが主となり、できた団が、この大口ウインドアンサンブルです。
結団式には出席できませんでしたが、いわば創団メンバー(?!)となってしまった僕。。。
…しかし、色々と理由があり、とりあえず退団(はっきりと退団届を出したわけでもないんだけども…)しました。
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